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春祭りと歯医者さんと

 さんがつ。この響きを耳にすると心が少しざわめく。そうなんだ。春祭りがやってくる。普段は境内の砂利石を踏む音が聞こえ、子供たちの声がそこかしこに響き、気の早い桜がときおり淡いピンクを人知れず落とす場所。そんな神社の平穏があれよあれよと心浮き立つ喧騒へと塗りかえられるとき。普段はあって無きがごとしの神社は町や村に住む人達全員の注目を浴び、ほんのり照れながら、しかし誇らしげにその存在を主張する。ここが中心なんだ。駅や商店街じゃない。役場や公民館でも決してない。

 高校時代までを過ごした港町に、その生家があることから名付けられた「次郎長通り」という古い商店街がある。その商店街のどちらかといえば南のはずれに大きな石鳥居があって、それをくぐった小路をしばらく進むと美濃輪稲荷が右手に見えてくる。子供の頃にはとてつもなく広く見えたその境内が今では小さく感じられてちょいと淋しいんだが、今でもそこに、ある。朱色に染められた木製の小さな鳥居が縦にいくつも並んでいて、ここが参道だと教えてくれる。ちょっとしたトンネルだ。小さい頃、これもやはり大きく長くそして恐く見えた。今では身をかがめながらひょいと通り抜ける。

 道をはさんだこの赤鳥居の正面に小さな歯医者さんがあった。小学生の頃から帰省して社会人となるまで、のべ20年近く通った歯医者さん。ご主人が歯科医で奥さんがその助手。たった一人で細々と診察、治療にあたった。行けばいつだって2時間は待たされた。予約などあって無いようなものだったけど、それでも患者達はゆっくりと待っていた。少年はそのゆっくり流れる時間が好きで、冬は火鉢で暖をとりながら、普段なら見向きもしない「新潮」とか「文春」などの雑誌を手に取り、飽きたら二階窓越し正面に見える美濃輪神社の赤鳥居やら左右に座る狐やらに目を向けていた。ようやく名前を呼ばれて診療室に入ると決まって小学校のことなんかを少年に尋ねるんだ。こっちは口を大きく開けたままなのだから喋ることができない。そんなことにお構いもなくこの夫婦はイロイロ話しかけてくる。

「学校は楽しいかな」
「はぐ」
「もうすぐお稲荷さんだね。けんちゃんも行くよね」
「へえへえ」
「それじゃこの虫歯治さんとなぁ。露店の菓子食えんなぁ。ははは」
「ほがー」

…てなやりとりの間も治療は続いている。腕は確かだった。やがて少年が社会人となっても、この二人の前ではいつだって小学生みたいに質問されたものだ。それが決してイヤじゃなかった。この二人が好きだった。

 ある日それは突然やってきた。ご主人が亡くなったという知らせ。跡継ぎもなく、診療所は閉ざされた。

 何も変わってないように今年も春は訪れ、桜は咲く。美濃輪神社の春祭りが始まる。赤鳥居をくぐる子供たちや家族連れの楽しげな声が聞こえる。縁日の露店も軒を連ね、あたりが暗くなる頃には電光を春の夜空に浮かび上がらせるのだろう。カルメ焼きの甘い匂い。つやつや光るリンゴ飴の紅。ポンポン撃ち鳴らす大根鉄砲の音。笑顔そして笑顔。…が、今ではもうここの春祭りに私が行くこともなくなった。

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