« なまけもの 音楽2003年の収穫 | Main | 白石一文 『草にすわる』 »

佐藤多佳子 『黄色い目の魚』

 絵を描いてるとこを見ることだけが好きな突っ張った村田みのり。テッセイなる呼称の父に10才のとき一度だけ会った、絵を描くのが好きな木島悟。二人の高校生を縦軸に、一見温かみのない両家族、みのりの叔父でプロの漫画家兼画家の木幡通、高校サッカー部GKでもある木島のチームメート達、その彼らのあこがれの的似鳥なる女の子等々を絡ませて進むストーリーである。

 10代のときにしか味わえないもどかしさ、切なさ、孤独感、持て余すいらいら、不器用さ、真摯さ、真っ直ぐさ、張り詰め、空虚さ。そんなもので溢れかえっている。

 木島はクラスメートの村田という女の子を描けない。村田だけが描けない。村田みのりの発するきりりとした率直さ、溢れるエネルギーが描けない。なぜ描けないのだろう。そんな思いから彼女をひたすら見つづける木島。

 一方、絵以外、世の中のすべてを嫌っている村田の中で何か変化が起きてくる。木島に描かれることを望んでいる自分に気づく。木島を意識している自分に気づく。そして……

 エンディングはよく言われる「予定調和」。霞で覆いながらも一応ハッピーに収まっていて少し不満だが、こうなることを望んでもいたのだよ私は。

 『しゃべれども しゃべれども』にあったのと同じ味わいのひとつがこの作品にはある。頑なだった少女村田が鉄の衣をひとつひとつ外しながら中心にあるピュアな部分を露にしてゆく様にとりわけ。それにしてもこの青さはなんて痛々しい。なんて切ない。そして懐かしい。

 心の描写に見る木島はすごくすごく純だ。でもなぁ、佐藤多佳子のイメージする男の子というのはホンモノとはちょっと違う気がするんだよなぁ。借りてきた印象というか。どこがどう違うと訊かれてもうまく答えられないのだけど。ぶつぶつ。

 さて、もう一度10代後半にもどることができたならどうするお前は。どうする。

|

« なまけもの 音楽2003年の収穫 | Main | 白石一文 『草にすわる』 »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/11727/70746

Listed below are links to weblogs that reference 佐藤多佳子 『黄色い目の魚』:

« なまけもの 音楽2003年の収穫 | Main | 白石一文 『草にすわる』 »